しゅ しょう え 修正会 1月1日 お正月に修する法会ですから、修正会と言います。 年の初めにあたって、無事新年を迎えられたことを感謝し、世界の平和、万民の安楽をお祈りし、またこの一年の佛法興隆、檀信徒の繁栄を願うお勤めです。 通例では、年初の7日の間に行われます。当寺では、元旦の午前0時からお勤めしています。 お正月は、本来、先祖の霊を迎えてお祀りしたものですから、氏神さまに初詣をするのと同時に、先祖のお墓へもお参りするのが本当です。 |
ぎょ き え 御忌会 1月25日 浄土宗を開かれた法然上人の祥月命日の法会です。上人は建暦2年(1212)正月25日に80歳でお亡くなりになられました。 「御忌(ぎょき)」という言葉は、もともと天皇や皇后などのご命日だけに使われたもので、一般には用いられないものであり、各宗の祖師にもその例を見ません。法然上人に限って使われるのは、今から400年あまり前、後柏原天皇が「法然上人の御忌を勤めよ」との詔勅を下されたことに依っています。 |
節分 2月3日 「節分」とは季節の変わり目のことであり、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指すのですが、特に立春が1年の初めであることから春の節分が重視されています。そのため、一般に「節分」といえば春の節分を指します。立春を新年とすれば、その前日の節分は大晦日に相当するわけで、そのため旧年の邪気を祓ってしまうための追儺(ついな)の行事が催されます。その代表が「豆まき」です。「福は内、鬼は外」と言いながら煎った大豆をまき、自分の歳の数だけ豆を食べると1年病気にならないとされます。 和尚が大本山・増上寺にお勤めしていた時(昭和60年頃)、中村康隆法主(現、浄土門主)よりたいへん興味深いお話を伺いました。「豆まきは施餓鬼である」というのです。「施餓鬼」とは、餓えた鬼に飲食を施すこと。すなわち、「豆まき」は餓鬼に豆を施してあげることによって功徳を積み、またそのことによって亡き人の供養ともなるのです。考えてみれば、鬼に何かをぶつけて追い払うならば石ころでよいわけで、貴重な蛋白源である大豆を投げ捨てるなどもったいないことです(しかも、美味しく食べられるように煎ってあげるのですから)。それに、鬼に何かをぶつけて追い払ったりしたら、必ず仕返しされると思います。 和尚は中村法主のお話を伺って、目からうろこが落ちる思いがしました。餓鬼に豆を施す「豆まき」こそ、佛教行事でありましょう。 |
ね はん え 涅槃会 2月15日 佛教を開かれたお釈迦さまの祥月命日の法会です。釈尊は、今から2488年前(別説あり)の2月15日に80歳でお亡くなりになられました。 「涅槃(ねはん)」とは、梵語(インドの古い言語)「ニルバーナ」の音写です。意味は、貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(おろかさ)など一切の煩悩の火が吹き消された状態の安らぎ、悟りの境地。 お釈迦さまは煩悩を滅して悟りを開かれてはいました(有余涅槃)が、天寿を全うされ肉体などの制約からも離れて完全な涅槃(無余涅槃)に入られました。 |
に じゅう さん や そん き がん え 二十三夜尊祈願会 旧正月23日 午後5時〜 月(太陰)の満ち欠けを主とし、太陽の運行を合わせ考えてつくられた太陰太陽暦(旧暦)の23日の夜、月の出を待って拝めば願い事がかなうという信仰があります。23日は勢至菩薩の縁日であるため、同菩薩をお祀りして諸願成就をお祈りします。 勢至菩薩は衆生救済の力がとりわけ大きく、智慧の光をもってあまねく一切を照らし、衆生の迷いを除き、無上の力を得させてくださいます。ですから、大勢至菩薩あるいは得大勢菩薩ともいわれます。また、勢至菩薩は佛心の種子を衆生の心に植えつけ、それが傷つくことなく成長するよう守護してもくださいます。 勢至菩薩は、観世音菩薩とともに極楽浄土の阿弥陀如来の脇侍であり、これら阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩の三体を合わせて阿弥陀三尊と申します。阿弥陀如来の脇侍のうち、観世音菩薩が衆生を救う慈悲を象徴するのに対して、勢至菩薩は智慧を象徴します。この智慧の光で私たち生きとし生けるもの(衆生)を導いてくださるのです。 勢至菩薩は、午年(うまどし)生まれの守り本尊でもあります。 当寺では、特に旧正月の23日に祈願法要をお勤めしています。 |
春季彼岸会 3月18〜24日 「彼岸会(お彼岸)」とは、春分と秋分の日を中日として前後3日、計7日の間に修される法会のことです。 この行事はインドや中国にはなく、日本で始まった行事なのです。聖徳太子のころより始まったとも言われますが、平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事化したようです。 お彼岸は、「到彼岸」と言うべきで、私たちの住む迷いの世界(此の岸)に対し、悟りの世界(彼の岸)に到るために佛道修行するのが本来の意味です。此岸と彼岸との間には煩悩の川があり、これを渡るために6つの方法が説かれています。その6つとは、布施(めぐみ)・持戒(いましめ)・忍辱(しのび)・精進(はげみ)・禅定(しずけさ)・智慧(さとり)。 『観無量寿経』の「日想観」により、春分と秋分に真西に沈む太陽を通して阿弥陀さまの西方浄土を観じ極楽往生を願ったたことに由来するとも言われます。それが日本の祖霊崇拝と結びついて先祖供養の法要とかお墓参りを意味するものとなり、日本独特の彼岸会となったとされます。 |
ほうねんしょうにんこうたんえ 法然上人降誕会 4月7日 浄土宗を開かれた法然上人のお誕生日を祝う法会です。上人は、長承2年(1133)4月7日、美作国(岡山県)でお生まれになられました。 |
しゃくそんこうたんえ ・ かんぶつえ 花祭り(釈尊降誕会・灌佛会) 4月8日 佛教を開かれたお釈迦さまのお誕生日を祝う法会です。釈尊は、今から2千5百年あまり前の4月8日、インドのルンビニーの花園でお生まれになられました。この花園でのご誕生が、「花祭り」という名のゆえんです。 「灌佛会」という名のゆえんは、釈尊ご誕生のとき、竜が天からやってきて甘露を灌(そそ)いで祝ったという伝承に基づくもので、産湯に相当するものでしょう。この伝承に倣って、甘茶を甘露に見立てて誕生佛に灌いで釈尊のお誕生日を祝うようになりました。「甘露」は、神々の飲料であり、飲めば苦悩が去り、長寿を得、死者を復活させるそうです。 |
観音山桜祭り 4月初旬〜5月初旬 桜の名所として知られる観音山の桜の開花期に、数百個の提灯に明かりを点して情緒を醸します。 期間は、桜前線到来の時期などによって年々多少のずれがあります。 湯本小唄 作詞 西条八十 作曲 古関裕而 湯本よいとこ 観音山の コラサット 桜散り込む 湯船で聞いて 春の夜更けの 相馬節 よっせ こらっせ よい湯本 よかっぺ すきだべ よい湯本 |
あ じ さ い 紫陽花開花 5〜6〜7月 寺の参道から境内にかけて並ぶアジサイが開花し、うっとうしい梅雨を彩ります。アジサイは異名を「七変化(シチヘンゲ)」とも言い、その名の通り同じ花が日々微妙に色彩を変えていきます。 |
せ が き え 施餓鬼会 8月11日 午前11時〜 飢餓に苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊に飲食を施す法会のことです。そしてその施しの功徳をもって三界の有縁無縁の万霊を供養して、世界の平和を祈ります。 当寺では、毎年8月11日の午前11時より福島県浜通り地方の浄土宗僧侶約30名によって大施餓鬼会が勤修されます。 |
う ら ぼん え お盆(盂蘭盆会) 8月13〜16日 梵語「ウランバナ」を音写したのが「盂蘭盆」であり、それを略したのが「お盆」です。「ウランバナ」とは、逆さに吊るされるような苦しみを意味します。「盂蘭盆会」は、『盂蘭盆経』に説く釈尊の弟子・目連の救母説話に由来し、祖霊をそのような死後の苦しみから救済するために営まれるようになりました。 お盆の初日には「迎え火」を焚いてご先祖さまをお迎えし、お盆中に供養して、最終日に「送り火」を焚いてお送りします。夏の「花火大会」は、この「迎え火」「送り火」。「盆踊り」は、お迎えする精霊の慰霊と魂送りとを兼ね合わせたものと言われます。 16日は、精霊送りをいたします。 |
観音山 観世音菩薩祭り(盆踊り) 8月17日 午後6時〜 「惣善寺史」でご紹介しました観音山の観音さまのお祭りです。そもそもは、観音さまの縁日である18日が本祭りであり、17日は宵祭りということになります。かつては、観音山の観音堂前で老若男女が集い、夜を明かすほど踊り興じたそうです。歴史あるいわき湯本温泉の盆踊りの原点であり、常磐炭田と盛衰を共にはしましたが、現在は地元の青年「睦会」が中心となって、当寺参道手前の温泉通りで8月17日に営まれています。まずは6時からご祈願の法要を行い、7時から盆踊りの開演となります。8時30分からはいわき湯本温泉旅館の女将さんたちからなる湯の華会が「じゃんがら念仏踊り」を奉納し、8時45分からは夜空に送り火である花火を打上げ、精霊を極楽浄土へお送りします。 |
秋季彼岸会 9月20〜26日 上記「春季彼岸会」をご参照ください。 |
じょう どう え 成道会 12月8日 お釈迦さまの成道を祝って行われる法会のことです。「成道(じょうどう)」とは、悟りを開くこと。 お釈迦さまは、29歳のとき出家し、道を求めて6年間の苦行の末、ピッパラ樹(菩提樹)の下で悟りを開かれました。 |
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